映画「Michael/マイケル」を観て
はじめに
先日、映画「Michael/マイケル」を観ました。
タイトルは「Michael/マイケル」。バスケをする自分にとって「マイケル」といえば、まず思い浮かぶのはマイケル・ジョーダン。また、「Michael」はアメリカでは非常に多い名前。それでも、このタイトルを見れば、多くの人がマイケル・ジャクソンを思い浮かべる。
それだけ、彼が世界に残した存在感は大きいのでしょう。
監督はアントワーン・フークア。『イコライザー』や『マグニフィセント・セブン』など、個人的に好きな作品を手掛けた監督ということもあり、楽しみにして観ました。
ストーリーについては他の方にお任せするとして、ここでは映画を観て自分が感じたことを書きたいと思います。
特に印象に残ったのは、
「才能をどう捉えるか」
「ストイックさとは何か」
「父ジョセフの功罪」
の3つ。
才能は「自分のもの」なのか
マイケル・ジャクソンは、10歳の頃からスターとして世に出ました。普通の子どもなら学校に行き、友達と遊び、少しずつ社会を知っていく。その当たり前の人生とは、まったく違う道を歩むことになります。
これだけ若い頃から成功すれば、我儘で横柄、高圧的な人間になっても不思議ではありません。
ところが、マイケルはそうならなかった。もちろん本人を直接知っているわけではありませんが、映画『THIS IS IT』などで見る彼は、スタッフやダンサーに対して非常に穏やかで、謙虚です。
その背景には、彼の「自分の才能は、自分だけのものではない」という考え方があったのではないかと思いました。映画の中でも、マイケルは自分の才能を与えられたものとして捉え、それを世界を照らすために使う、という趣旨の言葉を語っています。
これは、稲盛和夫氏の考え方とも重なります。稲盛氏は、才能について、
「才能というものは、集団を幸福へ導くため、天が人間の世界に一定の割合で与えてくれた資質」
と考えています。そして、才能を授かった人は、それを自分のためだけではなく、世のため、人のために使うべきだと説いています。
この考え方でマイケルを見ると、少し違った人物像が見えてきます。「自分にはこれだけの才能がある。だから自分は特別な人間だ」ではなく、「自分にはこれだけの才能が与えられた。だから、それを使って人を喜ばせる」という考え方です。
キリスト教でも、才能や能力を「Gift」と表現することがあります。神から与えられた贈り物だからこそ、それを自分のためだけに使うのではなく、他者のために使う。マイケルの母親がエホバの証人の信仰を持っていたことも含め、彼のこうした価値観には、幼少期からの宗教的な影響もあったのかもしれません。
マイケルのストイックさ
もう一つ感じたのが、マイケルのストイックさ。10歳からショービジネスの世界に入り、世界的なスターになった後も、音楽とダンスを追求し続けています。
特に印象的なのが、ダンスへの向き合い方です。東山紀之氏がマイケル・ジャクソンのストイックな姿勢に強い影響を受けたという話がありますが、それも納得できます。
一方で、マイケルのストイックさは、他人に厳しさを押しつけるタイプのものではありません。『THIS IS IT』でダンサーやスタッフに接する姿を見ても、相手を怒鳴りつけたり、自分と同じレベルの努力を強要したりするのではなく、自分自身が率先してやってみせる。
つまり、「自分についてこい」ではなく、「自分が先にやるから、一緒にやろう」というスタイルに見えます。
これは、リーダーシップとしても非常に興味深いところです。自分には厳しい。でも、他人には優しい。この両立は、簡単なようで実は難しい。
父ジョセフの功罪
そして、もう一人強烈な印象を残すのが、父親ジョセフです。ジャクソン5を世に送り出し、マイケルという天才を発掘し、スターへと押し上げた。
その功績は非常に大きい。映画の中で何度も出てくるのが、
“In this life, you’re either a winner, or you’re a loser.”
という言葉です。
「人生では、勝者になるか、敗者になるかのどちらかだ。」
この考え方によって、ジョセフは息子たちを厳しく鍛え、ジャクソン5を一気にスターダムへ押し上げました。これは、ある意味ではものすごい経営者的な能力です。目標を設定し、厳しい基準を持ち、結果を出す。実際、その方法で大成功している。
しかし、問題は「成功した後も、その考え方から抜け出せなかったのではないか」ということです。
「勝者か敗者か」という世界観では、成功している間はいい。
でも、人生には「勝つこと」以外にも、家族との関係や、人としての幸福、次の世代を育てることがあります。ジョセフには私利私欲が多い様子が映画からは垣間見れました。
もしジョセフが途中で、「勝つこと」から「人々を幸せにすること」へ、人生の目的を一段階変えることができていたら、マイケルとの関係も、違ったものになっていたのではないでしょうか。
そして、もし父子関係が良好なまま続いていたら、マイケルを中心とした音楽ファミリーとして、今も続く巨大なグループが生まれていた可能性もあります。もちろん、それは映画を観た自分の想像にすぎません。
ただ、ここに「才能をどう使うか」というテーマとの共通点を感じました。
才能を持つ人間に必要なのは何か
マイケル・ジャクソンは、圧倒的な才能によって世界中の人々を魅了しました。
しかし、才能があるだけでは、ここまで世界に影響を与える人にはならなかったのではないでしょうか。自分の才能を「自分が優れている証拠」と捉えるのではなく、「与えられたもの」と捉える。そして、それを人を喜ばせるために使う。
そこに、彼の謙虚さや優しさ、そして長年にわたって努力を続けるストイックさがあったのかもしれません。
一方、父ジョセフもまた、息子たちの才能を見抜き、世に送り出すという非常に大きな功績を残しました。ただ、「勝者になる」という価値観と私利私欲が強すぎたことで、成功の先にある「何のために成功するのか」という問いを見失ってしまったようにも感じます。
才能があることと、才能を正しく使えることは、別の話なのかもしれません。才能を持つ人に必要なのは、才能そのものだけではない。その才能を何のために使うのか。そして、成功した後に、何を目指すのか。
映画「Michael/マイケル」を観て、そんなことを考えさせられました。

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